大阪アーツカウンシルが5年間で「戦略としてやらなかったこと」「やりたかったけれどできなかったこと」

2018年3月18日、あつかん談話室特別編「大阪アーツカウンシルのこれまでとこれから」がグランフロント大阪の大阪ガス都市魅力研究室で行われました。

登壇者は2018年3月まで大阪アーツカウンシル統括責任者を務めた佐藤千晴さん、委員を務めた山川徳久さん、山下里加さん、山納洋さん、若林朋子さん。ゲストにNPO法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)代表で大阪府市文化振興会議委員の上田假奈代さんをお迎えしました。

30人の方にお集まりいただき、約3時間のトークでした。アンケートで反響の多かった話題を中心に、イベント終了後に追加したデータも交え、ダイジェストでご紹介します。

大阪アーツカウンシルの正式名称は大阪府市文化振興会議アーツカウンシル部会。大阪府と大阪市が共同設置した審議会の専門部会として2013年7月に発足しました。

前半、まず山納さんが「文化政策」とは何かを概観しました。それが大阪アーツカウンシルの活動の基盤でもあったからです。文化芸術はこれまで誰が支えてきたのか、行政が文化芸術を支えるロジック、大阪における文化・芸術活動の文脈などを語り、参加者の頭をほぐす時間となりました。

次に統括責任者の佐藤さんが、「評価・審査」「企画」「調査」という大阪アーツカウンシルに設定されたミッションに、5年間、どう取り組んで来たかを紹介しました。

立ち上げの2013年度は大阪府、大阪市の公募型助成金の審査や採択事業の視察、府・市が主催する文化事業の評価を行い、2014年度はさらに「企画」として、若手プロデューサーの生の声を聴くミーティングを重ねました。このミーティングが2015年度から3年間にわたって実施された府・市共催の「芸術文化魅力育成プロジェクト」へとつながりましす。2015年度は文化事業の評価を実地で経験しながら考える「アーツマネージャー育成講座」も実施しました。

2016年度からは交流サロン「あつかん談話室」もスタート。また、「中之島のっと(平成27年度芸術文化魅力育成プロジェクト)調査報告」(2015年度)「アートの助成金」セミナーと冊子作成(2016年度)、「全国のアーツカウンシル調査」レポート(2016年度)などの形で、外部に委託しての「調査」も実施しました。

2017年度は大阪府立江之子島文化芸術創造センター2階にようやく大阪アーツカウンシルの小さな拠点ができました。

2人に続く山下さんの話題提供のテーマは「大阪アーツカウンシルが戦略してやらなかったこと、やりたかったけれどできなかったこと」。いわば5年間の活動の分析です。このキャッチーな話題は会場に集まったみなさんの関心が特に高かったので、詳しくご紹介します。

戦略としてやらなかったこと

山下さん「大阪アーツカウンシルが戦略としてやらなかったことは三つあります。ひとつはステレオタイプの大阪らしさの発信・便乗。もうひとつは行政が強力に主導する大掛かりなイベント(芸術祭など)。最後に集客・インバウンドだけを目的としたイベントです」

「たこ焼き」や「お笑い」といったわかりやすい記号だけで大阪を語る情報が蔓延していることへの違和感は、5人の委員に共通。5人が魅力的だと感じる大阪ならではの文化的特性や面白さに光を当てる方向はごく自然に生まれました。

多額の費用をかけ、有名なプロデューサーを起用した芸術祭が全国的なムーブメントになっていますが、あえて、いま大阪で活動している人たちのネットワークの中から、自然に立ち上がり、大阪に根付くようなものを支援していきたいと考えたそうです。

さらに、今やさまざまな場面で注目度の高い「集客、インバウンドだけを主目的にしたイベント」はあえて推進しなかったと発言しました。その背景には、観光・集客の支援はそれぞれの担当部局に役割とノウハウがあり、芸術文化のフィールドで安易にステレオタイプの大阪らしさで集客を目指すことは長期的な成果をあげられない。ほかにやるべきことがあるという共通認識があったといいます。

やりたかったけれどできなかったこと

「大阪アーツカウンシルができなかったこと」として、山下さんは次の五つをあげました。

  1. 複数年にわたる計画、助成の仕組み
  2. 調査と評価の積み上げ
  3. ネットワークの見える化、巻き込み力の強化
  4. 実行部隊の形成
  5. 目的のあいまいな文化事業への提言

山下さん「調査と評価はカウンシル委員で分担してやっています。芸術文化魅力育成プロジェクトなどの大きな事業は私と若林さんが担当することが多かったのですが、それを積み上げて次の段階に生かすまでは至らなかったというのが実感です。データと報告書は作成しましたので、文化政策や次の文化振興計画に活かすのはこれからの方々に期待したいと思っています」

4番目の実行部隊の形成というところでは、アーツマネージャーの報酬の低さが課題として提起されました。

「日給が安いんです。フルに1日動いてもらうのは非常にためらう金額です。(注:アーツマネージャーの報酬は交通費込みで1回6200円。1日に何時間働いても金額は変わらない)。結局、やりがいを提示して搾取することになりかねない。もちろん協力してくださっている方がいらっしゃって、その方々には本当に感謝しかないです」

約5年間、5人の委員がさまざまなことを話し合い、何をやるかだけでなく、何をやらないかという選択もしてきたと強調しました。

大阪の特異性

後半の司会は若林さんが担当し、フリーディスカッションの時間となりました。

(左から山納洋さん、山下里加さん、上田假奈代さん、山川徳久さん、佐藤千晴さん、若林朋子さん)

委員であり、毎日放送事業局で舞台芸術の制作に携わってきた山川さんは、アーツカウンシル部会の場でも「大阪の特異性」について繰り返し問題を提起してきました。

大阪府立、大阪市立のホールや劇場がなく、文化財団もないので、公的セクターに芸術文化の専門人材が育ちません。また、行政が実施する事業は単年度予算のため、普通は2、3年かけた準備が必要な芸術文化事業には大きなハンデを背負います。

大阪アーツカウンシルは専門人材の代替機能を期待された面もあったが、現在の形では難しいと佐藤さんは言います。「審議会方式」のため、常勤スタッフがおらず、事業予算も持てないからです。

ゲストの上田假奈代さんは、2007年に仲間と「大阪にアーツカウンシルをつくる会」を立ち上げ、海外の事例などを学ぶ勉強会を重ねました。大阪市がフェスティバルゲートにおいて公設民営方式で運営した「新世界アーツパーク事業」が突然、打ち切られたことがきっかけでした。しかし、2013年に設立された大阪アーツカウンシルは、上田さんたちが考えていたものとは違うと感じたそうです。

上田さんの発言を受けて、佐藤さんが会場の参加者に説明しました。

佐藤さん「いま行政で新しい組織をつくるというのは全国どこでもたいへん困難です。アーツカウンシル東京は本当は独立した組織にしたかったそうですが、東京都歴史文化財団の事業として運営されています。全国に増えつつある地域版アーツカウンシルも既存の文化財団の中に事業を立ち上げる形が中心です。大阪は既存の財団がないので、審議会というかたちで設立されました。後ろ向きに審議会という形に撤退したわけではないと制度設計に携わった方々からは聞きましたが」

上田さんも参加していた新世界アーツパーク事業は2001年に大阪市が策定した「芸術文化アクションプラン」に基づいた事業の一つでしたが、このプランは10年計画のはずが02年に「文化集客プラン」に吸収され、文化事業も大きく変わってしまいます。

佐藤さん「当時、大阪市にはまだ文化振興条例も文化振興計画もありませんでした。10年計画があっさり変更されてしまったのは、根拠となる条例や計画がなかったせいもある、と指摘する研究者もいます。そういうことが起きないように、『前の市長の手柄はつぶしちゃえ』ということができないようにするために、条例にもとづいた審議会という形の大阪アーツカウンシルは『行政に対してたいへん強い』と制度設計をした方々は自負しておられます」

が、佐藤さんは2017年度に、大阪アーツカウンシルの「親会議」である大阪府市文化振興会議に対して「審議会という形で、できることとできないことがだんだん見えてきた。果たして大阪アーツカウンシルの形はこのままでいいのか、検討してほしい」と提案しました。

「ありかた検討会議」という通称で作業部会ができ、世界のアーツカウンシルはどうなっているか、どんな形なら可能性があるかなどを会議を積み重ねて検討したものの、結論は現行の審議会方式で続けることになりました。

「府立・市立の劇場やホールがない、公立文化財団もない、ゆえに専門人材がおらず、単年度予算で事業運営を公募で委託せざるを得ないという大阪の特異性をどうやって文化行政がリカバーできるかが非常に大きな課題」と佐藤さんは言います。

この話題について会場から「問題があるにも関わらず、なぜ審議会方式の続行が決まったのか」と質問がありました。

佐藤さん「私にもさっぱりわかりません(笑)。たぶん大きく絡んでいるのは大阪都構想だと思います。というのは大阪府と大阪市がどうなっていくのが未だに決まっていませんよね。行政の形の未来が見えないのに、今あるものを新しく変えるということを控えているという印象があります」

企業メセナの曲がり角

企業で働く立場から、山川さんは文化芸術をサポートする企業の方も変わってきたと話しました。

「1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災の二つの大きな災害を経験したことで、企業が使うお金が、メセナ・文化芸術から環境・CSRへとシフトしている面があります」

山納さんは大阪アーツカウンシルの特異性を「独自にプログラムを持てないけれど大阪府や大阪市が税金を使ってやっている文化事業に評価という形で意見を言えること。でも、実際の施策に反映させることは難しかった」と話し、話題を「市場の失敗」に広げました。

市場の失敗とは、経済原理に委ねた時に「必要だけれど市場性がないもの」が供給されない状況を言います。文化は経済的に自立する事業ではないため、歴史的には教会や貴族やブルジョワジーが支えてきた歴史があり、それが近代になり国家や行政に置き換わったと山納さんは言います。その上で「政府の失敗」について触れました。

「政府の失敗とは、政府主導の裁量的な政策が思うような成果を上げられない状態をいいます。ある力をもった人が、『こっちがいい』とえこひいきをしはじめる、芸術文化のことをまったくわかっていない状態で、お金をここにつけるとかつけないとかいうことをし始めるとろくなことにならない、という話です。いまの国会の空転ぶりをみても政府の失敗の意味というものがわかっていただけるかと思います」

官僚も政治家も本来は公平性を旨としていて、最適配分、つまり税金として集めたお金を一番良かれというところに分けるのがその本分です。だから市場の失敗の領域は行政や首長に任せておけば、良い配分をしてくれて、文化行政はうまくいくはず、でも現実はそうはならないと山納さんは言います。

「その市場の失敗も、政府の失敗も越えるというところに、アーツカウンシルへの期待があったはずなんです。どうすればアーツカウンシルが本当にその期待に応えられるようになるか。大阪なり、アーツカウンシルなりに限らない話として考えていただけたらと思います」

経済、まちづくりなど、行政のカバーしている領域で、課題をどうクリアしようとしているのか、いくつか事例が紹介されました。

産業の分野では、経済的に自立するまでの3年間だけ支援するような制度設計があります。まちづくりの分野では、Public Private Partnership(通称PPP:官民連携)という手法が一般的なものになっています。

「行政はお金が足りなくなってきています。国は1千兆円の赤字を抱えていますし、公共インフラの老朽化からハードの維持・更新が行政にはできづらくなっていく中で、その部分を民間に任せようという動きがPPです。たとえばPFI(Private Finance Initiative:民間資金を活用した社会資本整備)という手法があります。行政施設を民間が建てて行政に移管し、民間に運営を任せる、といったことをしています。

また、BID(Business Improvement District)は、その地域をよくするための公共的活動を民間が行い、税金を行政が集めて、それを民間のエリアマネジメント団体に自主運営させる仕組みです。

市場の失敗と政府の失敗を超えて、文化の質を担保しながらやるべきことを、どう持続的にやるのかという制度設計が必要、という話です。長くなりました」

行政の話を受けて、山下さんは「大阪アーツカウンシルは、ある場面では行政職員の相談相手だった」と語りました。

行政職員が芸術文化の領域でこれから具体的に何をやっていくのかというときに、現場の人たちと言葉が通じ合うカウンシル委員と、行政的な事務処理ができる職員とを、できるだけお互いにうまく辻褄をあわせながらより良い方向に向かせていこうという相談相手になっていたと思うと山下さんは振り返ります。

「一番困っているのは現場レベルの行政職員。私たちができなかったのは、もう一歩進んで現場レベルの上の幹部としっかり話し合うことでした。市長や知事、文化部局の幹部職員のみなさんが私たちのことをどう理解しているのか。行政がやろうとしていることを私たちがどう理解すればいいのか。お互いに質問を投げかける機会が少なかったのかもしれないと思います」

若林さん「外からはものごとが動いていないように見えていたかもしれませんが、大阪アーツカウンシルが現場や市民が相談する窓口になりにくかったのは、予算執行や意思決定の権限がない上に恒常的な事務局機能を持てないからだと、私も委員になってはじめてわかりました」

上田さんからは、外から見て、今後の大阪アーツカウンシルには市民の声をどんどん取り入れることが必要との意見がありました。「フェスティバルゲート時代は、同じ場で活動する年上の人たちが相談相手で、私にとってのアーツカウンシルでした。大阪アーツカウンシルはそういう存在でもあってほしいです」

「事業ができない、場所がない、寄付を集めて資金調達もできないという現在の大阪アーツカウンシルは孤軍奮闘です。こういうことを大阪府市文化振興会議で話してもスルーされました。評価よりも、評価の手前のところになぜもっと寄り添ってもらえないのかなと思う」

それぞれの意見が出たところで、会場からの意見交換の時間となりました。

ONPS(2016年度芸術文化魅力育成プロジェクト)プロデューサー田中大爾さん「大阪アーツカウンシルのみなさんがいたからこそできたことがたくさんありました。自分たちが取り組んでいく上で多くの問題点があったけれど、佐藤さんたちがいたことで守っていただいたことに感謝しています」

中之島のっと(2015年度芸術文化魅力育成プロジェクト)プロデューサー山本佳誌枝さん「アーツカウンシルが意見を言っても行政に実行してもらう強制力がなかったことが事業でたいへんだったことのひとつ。活動の中核が審査と評価では精神的にたいへんだったと思います」

アートエリアB1清澤暁子さん「大阪府の『大阪文化芸術フェス』など、府市が実施する文化事業に対する大阪アーツカウンシルの立ち位置がよく分かりません。審議会方式というところがポイントなのでしょうか。府市本体が行う事業にどれぐらい大阪アーツカウンシルの意見が活かされているのか、現状を教えていただきたいです」

佐藤さん「これは府市の人もいるので言いにくいんですが、提言してもスルーされることも多いです。アーツカウンシルの設立当初、橋下市長は大阪市の文化予算も大阪府の文化予算もアーツカウンシルが事業を決め、配分を決めるんだ、という趣旨の発言をしていましたが、これは誤解に基づいた発言です。審議会にそんな権力を与えたら、それこそおかしいですね。あくまでも事業を立案するのは府市のみなさんの仕事です。それでいいと思っています。私たちが関わっているのは事業評価、これは企業でいうPDCAサイクルのC(チェック)の部分ですが、P(プラン)にはなかなか反映しません。隔靴掻痒(かっかそうよう)です。残念ながら府市の事業すべてがアーツカウンシルの提言を聞いてくれるわけではないですし、府の『大阪文化芸術フェス』のように、万博公園にF1カーを展示するなど『あれ?』と思う内容のものもありました。この事業は宿泊税が財源なので、インバウンドや集客を意識してやりますというのは流れとしては正しいわけです。ただ、これに『文化芸術』の冠をかぶせていいのかどうか。この事業に関しては初年度の2017年度、大阪アーツカウンシルは幸か不幸かまったく関与していません」

3時間にわたる「あつかん談話室特別編」の締めくくりに、大阪アーツカウンシルの新たな統括責任者となる中西美穂さんからあいさつがありました。

中西さん「本日は、私の芸術文化に対する思いをお話して、挨拶としたいと思います。大阪が舞台の代表的な小説「夫婦善哉」をご存知かと思います。作者は織田作之助、ファンは親しみを込めてオダサクと呼ぶ小説家です。彼はどうして、大阪の下町の人々を小説に描いたのでしょうか。多くの場合、彼の自由奔放な人生に焦点があてられ語られますが、彼の人生は、実は戦争まっただ中だったんですね。戦争中は芸術表現に国家の統制がありました。そのような国という大きな力の時代に、オダサクは、大阪の下町の一人一人に焦点をあてた小説を書いていたんです。これって、つまり国という大きな力に対抗しうる、大阪の人々一人一人の小さな力を、オダサクは書きたかったんだろうと思うんです。

これからオリンピックや万博に関する大きな動きが、芸術文化に持ち込まれることが考えられます。そんな時に、一人一人の小さな力を、大きな力に対抗しうるものとして表現することで、オダサクのように、のちのちまでも愛され、高い評価が得られる表現となるのだろうと思うのです。小さな一人一人の力について考えるには、実際に人々と話してみるのがよいのです。例えば、私は人々の移動は『無視できないな』と思うのです。おばあちゃんたちと話していると、福井から大阪に嫁に来たとか、香川に疎開していたとか、姉にくっついて沖縄から大阪に来て食堂で働いておじいちゃんと出会ったとか。その語りは、彼女たちが大阪に移動して来たことを明らかにします。また、最近はインバウンドと呼ばれる海外からの旅行客が増加していますが、これも移動する人々です。さらには、大阪の長い歴史においては、朝鮮から、中国から、フィリピンから、ネパールからなど、多様なアジアの国々から人々が移り住んできました。そんな移動する人々も小さな力の一つであり、つまり、人々の移動は無視できない。いや、それだけではなく、移動というものが、人々の文化において大前提なのではないか、と人々と話すなかで考えたりもします。

私は人々の表現や、考えが、あちこちに、さまざまに、溢れている感じが大好きです。そして、大阪は、表現や、考えがさまざまに溢れているまちだと思っています。みなさまと、いろいろな場面で出会い、再会し、協力をいただき、教えを乞いながら、大阪アーツカウンシルの職責をはたせたらなあと思っています」

トークの最後は記念撮影の時間となりました。この内容を振り返り、次につなげていければと思います。

(撮影/野澤美希 構成/狩野哲也)