第10回三好達治賞、高橋順子さんの詩集『海へ』に

インタビュー

 大阪生まれの昭和を代表する叙情詩人・三好達治を記念した10回三好達治賞(大阪市主催)が高橋順子さんの詩集『海へ』に贈られ、贈呈式が3月30日大阪市中央公会堂で開かれました。

 『海へ』(書肆山田)は高橋さんの12冊目の詩集。高橋さんが生まれ育った九十九里浜東端の千葉県飯岡町(現・旭市)を襲った東日本大震災の津波に触発された一連の作品が「圧倒的に力がある」と高く評価されました。

 贈呈式に出席した高橋さんは、受賞挨拶で「33歳の時に出した最初の詩集が『海まで』、2冊目が『波』。いつか『海へ』という詩集を出さねばと思っていました」とこの一冊への深い思いを語りました。

 「私は海によって生かされているつもりでしたが、東日本大震災でそれがいかにおめでたいことかを思い知らされました。実家は海に一番近い二階家。両親や弟の家族は避難して無事でしたが、(飯岡で)14人が津波にのまれ、中には私の小中学校時代の同級生もいました」
 「町の人は漁師さんまでも、ここは遠浅だから、リアス式海岸ではないからとみんなが油断していました。だから被害が大きくなった。実は飯岡には300年前に大津波が来ていましたが、それはお寺や神社の古文書でしか見られず、私も知りませんでした」

 「海が好きでなくなったという詩も書きましたが、私は私の『海』に向き合わなければなりません」
 「私と海との関係がそれ以来変わったと思います。私はいま海に対して愛憎引き裂かれた状態からなんとか自分を立て直そうとする方向に向かっています」

 『海へ』から『3・11 あれから』という詩を自ら朗読、さらに三好達治の詩にもふれます。

 「先日、三好達治の詩を読み返し、『測量船』という第一詩集の中の『燕』という散文詩の一節に出会いました。若い頃にも読んだのですが、『あそこの電線にあれが燕のドレミハソラシドよ』、電線を五線譜に見立てた機智に富んだエピグラムしか憶えておりませんでした。今度読み返してみて、最後の方に恐ろしいことが書いてあると気づきました。燕が秋になって海を越えて温かい国に旅立つ時、海の上を飛んで行ってひとりぼっちになってしまったらどうしよう、と不安がる子燕に、親燕はこう言います。『けれども何も心配するには当らない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過ちからでなく起つてくることが、何でそんなに悲しいものか』。津波も私たちの過ちからでなく起ったことです。しっかりした親燕だなあと思います。自然への対し方に甘えがない。これは三好達治という詩人の姿勢なのだと気づきました」

 「愛誦されて来た三好達治の詩は響きが滑らかで典雅で、私は女性的と言っていいと思っていましたが、どうも違う。骨太で、抑えられるところは抑えて、男性的な詩なんじゃないかなと考えさせられました」

 高橋さんは受賞の挨拶を「この受賞は、最前線の現代詩から遠くなったと思っている私を力づけ、励ましてくれました。お世話になったみなさま、いままで私を支えてくださった多くのみなさまに御礼申し上げます」と結びました。

 贈呈式第2部では三好達治の母校・大阪府立市岡高校吹奏楽部の生徒たちが三好達治の詩「鴎」による歌曲を合唱し、高橋さんと交遊が深い詩人新藤凉子さんが高橋さんの人と作品について語りました。(佐藤千晴)

高橋順子 たかはしじゅんこ
【プロフィール】
1944年、千葉県飯岡町(現旭市)生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。77年に第一詩集「海まで」を発表。これまでに現代詩女流賞、現代詩花椿賞、読売文学賞、丸山豊記念現代詩賞、藤村記念歴程賞などを受賞。 詩集のほかにもエッセイ集「水の名前」、夫の直木賞作家・車谷長吉氏との日々をつづった「けったいな連れ合い」など著書多数。