佐藤千晴(さとうちはる)/1962年東京生まれ。12歳から千葉育ち。早稲田大学第一文学部社会学専修卒。85年に朝日新聞社に入社、徳島支局を振り出しに大阪本社学芸部(現・生活文化部)などに勤務。途中96年から2001年まで東京本社学芸部・電子電波メディア局で働いたが、記者活動のベースは大阪。文化、特にクラシック音楽や宝塚歌劇がメーンフィールドだった。2013年4月に退社、同年6月、大阪アーツカウンシル統括責任者に就任。 |
コミュニケーションは生きる知恵
佐藤さんは東京のご出身だと聞いています。関西に来られたきっかけを教えてください。
佐藤:東京の大学を卒業してすぐに朝日新聞社に入社しました。そのとき、最初に配属されたのが四国の徳島支局で、その赴任の道中で大阪本社に立ち寄りました。それが子どもの頃に行った万国博覧会以来、15年ぶりの大阪。その時は大阪の人たちのおしゃべりの勢いに圧倒されていましたね。四国で3年間、警察まわりから高校野球、選挙、料理、人物インタビューまですべてのジャンルを担当して、1988年4月に大阪転勤になったのです。
大阪ではどんなお仕事を?
佐藤:学芸部(現・生活文化部)に配属になり、家庭面(現・生活面)の担当として、大阪から全国に発信する記事を書いていました。次に担当したのが芸能面。特にクラシック音楽や宝塚歌劇団の取材が多かったですね。
大阪を拠点にされて、あらためて「ああ、大阪だな」「関西だな」と実感されたことは?
佐藤:やはり、人とのコミュニケーションですね。田辺聖子の小説でしか知らなかった会話が現実に交わされている場面に数多く出合ってきました。大阪では、YESかNOの二者択一ではなく、その間にいくつもの言葉を持ってコミュニケーションしている。人生の知恵みたいなものですね。関西で、当時のフェミニズム運動の旗手として活躍されていた上野千鶴子さんや小倉千加子さんたちのコミュニケーション力にも驚きました。彼女たちは学術的な裏付けもしっかり持ちながら、話がとてもうまい。男性優位の社会に対して手厳しく批判しながら、笑いをとるんです。笑いもふくめて、「生きる知恵」が染み込んでいるのが関西であり、大阪なのかと感服しました。
“まちの空気”をまとう大阪人
大阪本社で8年間の勤務の後、1996年に東京本社に転勤になります。
佐藤:大阪に来た時は早く東京に戻りたいと思っていたのですが、いざ東京勤務となると東京になじめない自分を発見してしまった(笑)。
どんな時にそう思ったのですか?
佐藤:東京は仕事の環境としても、競争意識が高く、ナンバーワンをとろうと必死になっているように感じました。大阪は緊張感のあるなかでも、ちょっと冗談を言って笑いをとって場を和ませようといったコミュニケーションの知恵が働いている。それに、大阪だったら昼休みには10分歩いてでも美味しいものを食べにいこうとするでしょ。でも、東京だったら時間がもったいないからビル内の食堂ですませる。東京の方が効率はいいのだけど、大阪のように10分歩いて目に入る街の風景や変化、人々がどんな顔をして歩いているのかを見ることも大切でしょう。これは、大阪での記者時代に先輩から教わったことです。
目的に向かって最小限の時間と労力で到達するのが東京なら、大阪は「寄り道文化」なのかもしれませんね。
佐藤:言い換えると、90年代は東京が日本の中心として確立し、大阪は地方都市としての生きる道を模索し始めたといえるかもしれません。だからこそ、文化が熟成した。大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務められた朝比奈隆さんは大阪だからこそ大成できた人物だと思います。
2001年4月にまた大阪本社に戻られます。
佐藤:大阪に戻って道頓堀の「今井」のうどんを食べた時に喜びを感じましたね。お出汁が最後まで飲める。これで私は大阪にやられちゃったんですね。
胃袋が大阪を求めている?(笑)
佐藤:そうそう。そして人。大阪の人たちはそれぞれの”まちの空気”をまとっているように思うのです。キタの人はキタの人の、河内の人は河内の、生まれ育った地域、生活しているまちの空気をまとっている。それに、関西は都市国家の集まりのようで京都と大阪と神戸は電車で30分しか離れていないのにずいぶん違うし、大阪と一口で言っても船場と河内と泉州と北摂は違う。同じ価値基準のなかで競争してナンバーワンを目指すのではなく、それぞれの個性を持ったオンリーワンなのです。それは、私にとって居心地のいい街でもあります。
大阪の文化土壌を豊かに
さて、大阪アーツカウンシルの統括責任者は公募で決定されました。応募の動機についてお話ください。
佐藤:長く新聞記者として大阪の文化を取材していて、いろいろな課題があることはみえていました。大阪の文化というと、派手・お笑い・食い倒れといったいわゆるステレオタイプなものだけが流布している。何代にもわたって受け継がれてきたとても豊かな生活文化があるのに、それが世の中には伝わっていない。文楽の人形遣いである桐竹勘十郎さんには、舞台人としての芸の格調の高さと、舞台を下りた時の親しみやすさの両方を当たり前に備えていらっしゃる。他の文楽の技芸員さんたちも、電車で劇場に来て、すごい芸を披露してまた電車に乗って帰って行く。お客様も普段着だけど、粋な格好で劇場にきて楽しむ。それは文化の土壌の厚さがあるからこその豊かさだと思うのです。それが広く世の中に伝わっていないのが惜しいなと思っていたました。統括責任者の公募がちょうど新聞社を辞めた時期でもあり、私にできることがあるのではと思ったのです。
実際に大阪アーツカウンシルの統括責任者に就任されて、いかがでしょうか?
佐藤:難しい場面の連続です。やはり文化予算の厳しさが身にしみますね。もちろん、大阪府市の予算全体に余裕がないことも承知しています。その現実をふまえてどう動くか。非常に現実的な判断をしていかないといけない。ですが、大阪の人々の本来もっている豊かさ、知恵、柔軟性を発揮すれば、他では真似の出来ないおもしろいことができるはず。
具体的には、どのような活動をされていきますか?
佐藤:まず、大阪で文化の活動をしている人たちと会うこと、現場に足を運ぶことが大切だと思っています。大阪府市のいくつかの助成金の審査委員もしていますが、応募者の中でも有意義な活動をされている人に多く会いました。また、今年の4月からは毎週金曜日午後にenoco(大阪府立江之子島文化芸術創造センター)で大阪アーツカウンシルの出張所を開いて、いろいろな人が気軽に相談にきていただけるようにしました。そうして出会った市民活動を「大阪の文化」に育てていくのが、アーツカウンシルの役割ではないかと考えています。
▲ 大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]
これからの大阪アーツカウンシルの方向性とは?
佐藤:まず、現場主義ですね。書類や机上で判断するのではなく、現場に出向いて情報を得て判断する。私だけでなく、アーツカウンシルの専門委員の方やアーツマネージャー(※)の方にも府市の文化担当者の方々にもできるだけ現場に行くことをお願いしています。もう一つは、アーツカウンシルが一方的に決めて実行するのではなく、「あなたは大阪の文化をどう考えているのか?」と広く問いかけたい。異なる意見をちゃんと聞いて、その上で判断していく。大阪には、自分のまちと文化に対して真剣に考え、行動している人がいる。そういった人の意見を取り込んでいきたい。
※アーツマネージャー(文化事業調査員):
大阪アーツカウンシルの依頼で文化事業の状況などの調査を行い、アーツカウンシルにレポートの形で報告する。レポートはアーツカウンシルが文化事業などを評価する参考として活用する。
対話型アーツカウンシルとも言えそうですね。
佐藤:「大阪だったらおもしろいことができる」「大阪にはアートに関わる人が集まってきておもろい」と大阪府民、市民が本気で思っている文化の土壌があってこそ、最先端の創造が生まれてくると思うのです。単発のイベントや、すでに評価の定まっている人を呼び込むだけでなく、文化が育つ土壌づくりをしていきたいですね。
▲ アーツカウンシル出張所(enoco4F・ライブラリー)は、毎週金曜日の午後にオープンしています。2017年4月からは2階にうつりました。
(聞き手・構成=山下里加)