大阪アーツカウンシルでは11月1日夜、文楽三味線の鶴澤友之助さんを「あつかん談話室」のゲストにお迎えしました。仕事としての文楽、芸能としての文楽の魅力を三味線の実演も交えて語っていただきました。その詳報をお届けします。

もしも盲腸が破裂していなければ。
なぜ文楽の道に進まれたのですか
高校2年生のときにNHKで、たまたま「妹背山婦女庭訓」を見まして。我が家はわりとNHKをよく見る家庭で、「生きもの地球紀行」が好きでした。「山の段」のすごくきれいな舞台が映って目を留めると、それまで聞いたことがない低音楽器が鳴り出した。どうやら三味線らしい……それが、最初の出会いでした。
その後、大阪市営地下鉄で「文楽研修生募集」というポスターを見かけたんです。この間見たばかりで縁を感じ、習えるものなら習いたいと思ってさっそく電話しました。
「おいくつですか?」「高校2年生です」「高校をやめないと研修生になれないんですけど」「……それは厳しいですね」
電話の向こうの国立文楽劇場の職員さんにも高校は出たほうがいいと思いますよと言われ、その時はあきらめました。
母はバイオリニストで、父はピアニストです。僕は小学生のときにクラシックギターを習っていました。そして、中学時代はバンドブーム。ベースがおらんからベースをやってくれと言われ、引き受けてやってみたらベースも面白く、そこで低音楽器の魅力を知りました。
高校生になると、時に学校を休んで学校鑑賞会のベースとギターのアルバイトを始めました。PA機材をトラックに積み込み、現地でセッティング、演奏、そして終わると片付けてトラックで帰るというものです。
当時はクラシックのコントラバスも本格的に習っていて、音楽大学を目指していました。ところが入試の実技試験の前の日の晩に、盲腸が破裂してしまい。救急車で運ばれ1カ月入院、実技試験を受けられませんでした。
その時頭をよぎったのが、文楽。研修生の募集が2年に1度ですので、ちょうど募集の年。またしても縁を感じまして、今度こそ文楽の研修生になろうと決めました。そして、2年後、研修生を卒業することができ、2002年に技芸員になりました。
もし盲腸が破裂しなかったら、コントラバス奏者になっていたかもしれないわけですね。
そうですね。ベーシストになろうという将来設計でした。
2年間の研修生生活
文楽技芸員になるには二つの道があります。一つは私のように国立文楽劇場の研修生に応募する道です。志望動機を書いて送り、面接で合格すると2年間の研修があります。2年間の途中にも試験があり、修了後、師匠に弟子にとってもらえて初めてプロになれるわけです。誰も弟子にとってくれなければ、そこでやめなければなりません。
もう一つの道は、直接「弟子にしてください」と師匠に頼み込む方法です。弟子になると文楽協会の研究生になります。研究生の期間にしばらく様子をみて試験があり、プロになります。
現在、技芸員の約半数が、文楽劇場研修生出身です。
研修は毎日あるんですか。
最初は太夫、三味線、人形のすべての授業があり、それぞれ舞台の合間に師匠方が教えてくださいます。それ以外にも、大阪の古典音楽を研究されている方の講義や、お茶、日本舞踊なども文楽劇場で習う毎日です。不規則なコマなのですが、合間は自習しています。
北海道から応募しても、みんな大阪に住んで勉強するんですか?
そうです。家賃や食費は奨学金制度があるので、それでやりくりをしています。
三味線がやりたいと思っている友之助さんも義太夫や人形の稽古をするのですか?
半年間、太夫・三味線・人形すべての授業を受けた後に適性試験があり、師匠方がずらっと並ぶ前で、この期間でどの程度、習得できたのかを発表します。残りの1年半は三味線に特化した稽古の毎日でした。
最初はなんで全部するのだろうと思いましたが、今考えると良い経験になりましたし、良いシステムだと思います。
最初の半年で落とされる子も、もちろんいます。「君は三味線がやりたいと言っているけれど、三味線は無理や。他に転向したらどうや?」と言われて「それでも三味線がやりたいです」と頭を丸めて志願したものの、結局向かずやめた人もいますし、人形志望だったの研修で初めて体験した三味線に目覚めて転向し、プロになった先輩もいます。半年で三味線を弾けるようになる子は少ない。太夫や人形志望でも、弾けるんやったら三味線に……とスカウトする三味線の師匠方の気持ちは、分かる気がします。
文楽は義太夫、三味線、人形の三業で成り立っている。そして人形は三人遣い。「3」がキーナンバーですね。
言われてみると、そうですね。
文楽協会のホームページには「三位一体」とあります。これはキリスト教の用語でもありますが(笑) 研修生は中卒からですね。
はい、そうです。
ピアノやバイオリンは3歳、4歳で始めます。15歳から三味線って、遅すぎることはないんですか?
三味線、特に太棹(ふとざお)三味線は大きいので体が大きくなってからしか持てません。ある程度大きくなってからのほうが現実的やと思います。私は高卒で入りましたが、最近は大卒の方も多いです。中卒は、なかなかいないですね。直接、師匠に入門する研究生だったらいますが。
かなり専門性が強い仕事なので、もしこの仕事ができなくなった時のことを考えると、さすがに中卒は親御さんも心配でしょうね。
弟子入り後の初舞台
2年間無事に研修が終わると師匠と弟子の関係になるわけですが、師匠は研修生が選べるのでしょうか?
研修をしてくださった師匠方の中から師事したい方にお願いするのですが、受けてもらえるかどうかは分かりません。断られることもあります。
弟子入りすると初舞台はすぐにやってくるのでしょうか?
4月に名前をいただき、文楽協会に契約してもらいます。3ヶ月後の夏公演で初舞台。人形遣いは小道具や刀などを渡したり、受け取ったりのお手伝いからです。

私は2002年の7月が初舞台でした。三味線弾きが3人並んだ合奏の一員です。端っこに座らせてもらい一節だけ弾かせてもらう。そういう舞台から、段々ひとりで弾くパートが増えていきます。
三味線って西洋音楽のような五線譜がないですよね。
朱(しゅ)と呼んでいる独特の記号の羅列のような譜面があります。師匠や先輩から朱を借りて書き写し、それを舞台までに丸暗記しなければいけません。太夫は床本(ゆかほん)を前に語りますが、三味線弾きは何も見ずに演奏する。プロになって、学生時代にもっと暗記のコツを掴んでおけば良かったと思ったことがありますね(笑)
文章は完全に丸暗記はしていないですが、字数の違いなどでも三味線が入るタイミングが違いますから、文章が頭に入っていないといいタイミングで弾けません。
人形遣いも文章を覚えていないと、語りを聞いてから動いていたのでは遅れてしまいます。
オーケストラは指揮者がいますが、文楽はいったい誰が指揮者をやっているのでしょうか?
太夫は物語を語り、人物の語りわけもしますが、太夫の息継ぎを助けたり情景描写を表現する役割もある三味線が一番指揮者に近いでしょうか。
太夫が全体を引っ張り、三味線が支え、人形遣いが演じる。ですので、番付やプログラムの表記は太夫、三味線、人形の順になっています。
技芸員さんはみなさん、似たような名字ですね
三味線弾きは全員「澤」がついています。源流が竹澤権右衛門。その後、各名人が鶴澤、野澤、豊澤という名前を立ち上げたようです。
一人前になるにはどれぐらいかかりますか?
切り場、物語のクライマックスの場面を任せてもらえるようになったら、ある程度一人前でしょうか。早くても30年ぐらいはかかるかと。
本当に花開くのは60歳ぐらいと言われていますので、37歳の私なんか若手も若手、感覚的には新入社員です。最近は、後輩のお世話を少しするようにはなりました。
普通の会社なら60歳は定年ですよ(笑)
そのころに一番舞台を務める時間が長くなるので、体力と健康には気をつけなければと思います。
明後日(11月3日)は国立文楽劇場11月公演初日です。直前でお忙しいのではないでしょうか。公演前にお稽古はどれぐらい?
昨日は太夫と三味線のみのリハーサルがありました。人形と合わせる全体の稽古は、今日と明日だけです。
オペラでいえばゲネプロ(総稽古)だけで本番みたいな感じですね。オペラはその前にかなり長い期間リハーサルがありますが、文楽はそんなに短い稽古でできるんですか!
新作の演目でしたらもう1日取ることもありますが、古典の演目だと文章も動きもわかっているので確認の舞台稽古だけです。
太夫と三味線は、配役がわかってからお稽古のスケジュールを決め、詰めて行きます。基本、稽古部屋で2人です。以前やったことのある演目でも毎回それぐらい時間をかけて間やテンポを調節し、師匠にもみていただきます。
人形の動きは主遣い(おもづかい)が作って行くそうです。主遣いが「図」(ず)と呼ばれる無言の指示を出せば左遣いと足遣いが動きます。図をきっちり出せるようになるには、長い年月が必要だと聞いています。
公演でどんな演目をやるのは誰が決めるのですか?
演目から配役まで、公演を主催する劇場の制作の方が決めます。11月の大阪公演は国立文楽劇場、12月の東京公演は国立劇場が主催劇場です。
すごい権力ですね。
雇い主ですから。ただ、重鎮クラスの技芸員に「これでいいですか」と声をかけることは、多少あるかと思いますが。
雇い主といっても、技芸員さんは劇場に雇用されているわけではありませんよね?
一人ひとりが個人事業主で、公益財団法人文楽協会と1年ごとに契約を結んで活動しています。思いの外なんの保証もない仕事で、病気をすると苦しくなります。
友之助さんは11月公演は第2部、『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』の三つの場面のうち、最後の「道行思ひの短夜」にご登場です。どれだけの時間、演奏を聴けるのですか?
18時頃から30分間ぐらいです。
出番の30分以外はどのように過ごしているのですか?
楽屋で師匠、先輩の着替えのお手伝い、師匠が舞台を務めている間は、後ろに控えています。他には、舞台裏で先輩方の音を聞いて勉強したり、稽古場に入って次の公演のお稽古など。合間にご飯も食べます。
慌ただしいですね。
間に受けている仕事にもよりますが、時間がぎちぎちでご飯を食べられないこともあります。そうかと思えば、時間に余裕がある公演も。師匠、先輩には教えていただいてる分、お手伝いできることで少しでもお返ししたいと思っています。
師匠以外でも教えてくださる先輩はいらっしゃる?
師匠がされたことのない演目は、師匠から「稽古したって」と申し送りがあり、先輩に稽古をみていただくこともあります。他にも演奏を聞いた先輩が「ここ、こうやったほうがいいと思うよ」とアドバイスをくださったり。
舞台は三業の「戦い」
お仕事としての文楽の話をうかがってきましたが、芸として文楽の魅力はどんなところですか?
それぞれに合わせないところが魅力です。太夫も三味線も人形も、舞台で仲良しこよしで合わせにいくと面白くなくなりますし、表現も小さくなってしまいます。
太夫と三味線は基本人形を見ませんし、太夫が苦しそうでも三味線が融通しないことも。人形の振りがあり、いくら太夫三味線がその人形を先行してもそのまま主張したり、毎日戦っています。
全員が160キロのストレートの球を投げて全力で勝負している世界。たまにズバッと合うときがある。
三業は戦っているんですね? ぜんぜん思ってもいなかった。
私は三味線弾きですので、やはり三味線の音色が魅力的だと思います。ずっと楽器をやっていたことと、低音楽器好きというのもあって。津軽三味線も太棹ですが、義太夫三味線とは音がまったく違います。
(ここで三味線の実演)
撥(ばち)は象牙なんですね。野生動物を保護するワシントン条約で象牙は取引が制限されています。
正直、手の大きさに合った撥は入手困難です。あと、海外公演の時にも空港で引っかかったり。三味線も分解して持ち運ぶと折りたたみのライフルのように見えて、同じく空港で引っかかることもあります。
友之助さんの三味線ケースはライフルケースの内部を改造したものですし(笑)
ライフルケースは、頑丈。かつ防水なので、楽器の保護にうってつけなんです。
聞いた話なんですが、昔、ある師匠が海外の空港で引っかかって「これは何?」「これは楽器や」「嘘つけ」「ほんまや」という問答の末に、その場で組み立てて弾いたそうです。わかったからもういい、と言われても「途中で止められるか!」と一段弾いたそうで、伝説になっています(笑)。
文楽の三味線は本体が重い上、更に撥も厚くて重いため、とても持ちにくく弾きにくい。なので、なかなか後輩の三味線弾きが増えません。撥を小指と薬指の間に挟んで弾くうちに撥だこができますが、これがすべりどめになって弾きやすくなる。体を楽器にあわせていくんです。

バイオリンのストラディバリウスのように、三味線にも古くから伝わる名器ってあるんですか?
ありません。三味線は消耗品なんです。使えば使うほど減っていき、最終的に舞台で使えなくなり、稽古三味線行きになります。
この仕事の一番の喜びはなんですか?
舞台で自分の力を出せた時です。稽古通りに演奏するのは難しく、舞台を何回つとめても100パーセントは出せない。それを出せるように稽古するのですが、稽古通の演奏ができるとうれしいですね。
いつかやってみたいことは?
古典の名曲をいろいろ弾きたい。今年6月に文楽若手会で『菅原伝授手習鑑』の切り場(物語が一番盛り上がるところ)「寺子屋の段」を弾く機会をいただけたことは、嬉しかったですね。
せっかく五線譜も読めるので、それも生かしたいと思っています。来年3月には狂言風オペラ「フィガロの結婚」に携わらせていただくことになりました。モーツァルトの音楽を管楽アンサンブルが演奏して、能、狂言と文楽が物語を演じます。義太夫は豊竹呂太夫師匠、人形は桐竹勘十郎師匠です。
(ここで質問タイム)

技芸員さんは個人事業主とのことですが、仕事は文楽協会を通さないといけないんですか?
基本的には個人で大丈夫です。個人で受けて、協会にはこの期間は仕事が入っていますと連絡します。
友之助さんの三味線は猫ですか、犬ですか。
マニアックな質問ですね(笑) 表も裏も犬皮です。猫の方が値段が高く皮も薄くて破れやすいので基本的に若手は両面とも犬です。犬皮の方が分厚い。文楽は物語がクライマックスに向かうにつれて調弦が低くなるのですが、低音は薄い猫皮の方がよく鳴ります。若手が弾く場面は高い調弦の曲が多いので分厚い犬皮でも鳴ります。
毛筆で書かれた番付を見ると、名字の「さわ」の字の自体が人によって違いますね?

芸歴で変わっていくんです。入門してすぐは「尺ざわ」と呼ぶ「沢」。次に崩した「半ざわ」、やがて「本澤」と呼ぶ「澤」になります。
劇場でおすすめの席は?
義太夫や三味線が好きなら床に近い上手側(舞台に向かって右側)、人形をじっくり見たいなら中央の前の方でしょうか。通路に面した10列目は足が楽ですよ。
例えばあえて字幕を見ないとか、自分なりの見方を決めるのも面白いかなと思います。イヤホンガイドもおすすめです。いいタイミングで解説を入れてくれます。
床から客席ってどれぐらい見えますか?
「あのお客さん、今日も来てくれてる」とか「このへんにこんな服を着てる人がいた」とか、とてもよく見えています。私はメガネをはずして裸眼で出るのでほとんど見えてませんが。メガネをかけて舞台に出てはいけないんです。昔、メガネは高級装飾品だったので慎んだそうです。
太夫さんと三味線の方はおそろいの肩衣で舞台に出ますが、あれは太夫さんからのプレゼントだそうですね?
プレゼントではなく、お借りするだけです。太夫さんが2組ずつ作ってもっている肩衣、袴の中から、演目に合わせて色や柄を選びます。師匠のそのまた師匠から伝わった古いものを、大事に使っている方もいます。若手も、いつかひとりで語れる日を目指して新しく作っておきます。前後の出演者で色がかぶらないように、先輩方に「今回はどんな色で出られますか?」と聞いたりするそうです。
休みの日はどう過ごされていますか?
公演のないときはお稽古。急に時間が空くこともありますが、普段できない用事がたまっています。そういえばそろそろ運転免許の更新です。あとは、整体にも行きます。三味線弾きは右手首が腱鞘炎になりやすく、それで廃業した先輩もいるので、体のケアは欠かせません。
他に映画を観たり、ギターを弾いて気分転換したり、お酒も好きです。ワイン・焼酎も飲みますが、日本酒が一番好きですね。
つるさわ・とものすけ
1980年大阪府堺市生まれ。父はピアニスト、母はバイオリニストで、幼いころからクラシックギター、エレキベース、フラメンコギターに親しむ。コントラバスを故・奥田一夫氏に師事。99年4月、国立劇場文楽第19期研修生となり、2001年4月に豊澤富助に入門、 豊澤龍爾の名で7月に初舞台。17年7月、鶴澤清友の門下となり、鶴澤友之助と名乗る。
いかがだったでしょうか。ざっくばらんに文楽の世界を語ってくださった友之助さんのおかげで、少し文楽の見方が変わってきました。
「あつかん談話室」は今後も文化芸術の仕事という切り口で、さまざまなジャンルの方をゲストに迎えます。鑑賞のツボなどもお聞きし、新しいジャンルの扉を開く機会にもなれば幸いです。
(撮影/松本京子 構成/佐藤千晴、狩野哲也)