クリエイティブとマーケティング。どちらにも人の心を動かす力がある。

山川徳久(やまかわのりひさ)/1963年和歌山県生まれ。4歳から大阪育ち。毎日放送事業局事業部マネージャー。 大阪府立大学で奥平俊六氏のもと日本美術史専攻。学士論文は「池田の呉春」。 ホテルニューオータニ大阪で勤務した後、米国コーネル大学大学院修了。専攻はマーケティング。修士論文は「Strategic alliances in the hospitality industry : a study of theory and practice」。 関わったイベントは、「サントリー1万人の第九」「坂東玉三郎特別舞踊公演」「ヨーヨー・マ東大寺特別奉納演奏」「世界遺産『ポンペイ最後の日』特別展」「松喬十六夜」など。各種ジャンルの音楽、歌舞伎、落語、演劇、ミュージカルからストリートダンスまで、守備範囲は広く雑食系。

つなぐ仕事

山川さんは、毎日放送事業局事業部マネージャーをされています。どんな企画を担当されているのですか?

山川:若い頃はロックやポップスなど洋楽が好きで、一時は音楽業界に進もうかと思っていたぐらい。なのに、今は伝統芸能や歌舞伎、クラシック音楽、落語などを担当することが多いですね。僕が興味あるのは、古いものと新しいものをつなぐ仕事。あるいは、分野の違うものをくっつけること。きっかけは1996年にチェロ奏者のヨーヨー・マさんの楽曲で坂東玉三郎さんが舞踊するという公演を担当してからです。2009年の『らくご×情熱大陸』では、落語家の立川志の輔さんとヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんなど落語と音楽の共演を企画しました。落語家の立川談春さんとミュージシャンの斉藤和義さんとの舞台では、斎藤さんのファンのほとんどが落語を生で聞くのは初めてという女の子ばかり。そこで談春さんが「斎藤さんがラブソングを歌ったので、僕は落語で“アイラブユー”をやります」と前置きして『紺屋高尾』をやったんです。紺屋の職人が吉原の花魁に一目惚れして3年かかってお金を貯め、最後には嫁にもらうという話。落語を初めて聞いた女の子たちがポロポロと泣いて。観客がまったく知らなかったものに出会って感動してもらえるという…あれは良い仕事だったなと思います。

山川さんは、その分野の専門家・愛好家向けでもなく、市場重視の大衆向けでもなく、両方をターゲットにしているようですね。

山川:僕は人の心を動かすものにとても興味があるんです。舞台芸術、美術、音楽、本、詩など、喜怒哀楽、怖さ、驚きなど感情を揺さぶるものはなんでもおもしろい。同時に若い頃からコピーライティングやCMなど、宣伝・マーケティングの分野で、人の心を動かしていくことにも興味がありました。ビートルズは音楽的にもすばらしいですが、商業的にも成功して時代を創った。クリエイティブであり、マーケティングでもあり、どちらの面でも圧倒的に人の心を動かす。それはどういう力なんだろう、という興味ですね。

ホテルマンからアメリカへの留学

以前のお仕事は文化・芸術とは畑違いの分野と聞いていますが?

山川:自分では「非日常を演出して、人の心を揺さぶる」という意味ですべてがつながっているのですが。音楽業界をあきらめたあとは、大阪のホテルニューオータニでマーケティングの仕事をしていました。 その時の総支配人が甲田浩さん。日本で初めての会員組織をつくったり、ディナーショーやお正月の宿泊プランなどの企画を始めたりした有名ホテルマンで、直属で働いて「こんなすごい人がいるのか」と感服しました。そしてもっとマーケティングを勉強しようと1993年に甲田さんの出身校であるアメリカのコーネル大学の大学院に留学したのです。ちょうどその頃のアメリカは、テレビの多チャンネル化が始まり、アル・ゴア副大統領の旗ふりでインターネット前の情報スーパーハイウェイ(Information Superhighway 超高速・大容量の情報網)構想が出た頃。情報環境がどんどん変わっていって、1年目はマイクロフィルムで見ていた文献が、2年目はLexisNexis(アメリカ合衆国を本拠とするリサーチデータベースプロバイダー)でコンピューターからずらーっと見られるようになった。ホスピタリティー分野のマーケティングを勉強しに行ったのですが、これからは、「通信」、「放送」、「コンピューター」、いずれかの分野が面白くなると強烈に実感しました。
 そういうわけで帰国後、「放送」の毎日放送に転職したのです。その頃は芸術的なイベントや国際的な仕事もけっこう多くて、マーケティングの知識や自分の経験が役に立つと思ったのです。

芸術分野への想いが強かったのでしょうか?

山川:絵を描くのも見るのも好きだったし、詩を書いたり読んだり、映画もたくさん見て8ミリ撮ったり、音楽も聞いて演奏もしていましたが、自分に表現者としての才能がないのは15歳のころに気づいていました(笑)。僕は、裏方として表現者たちに携わってるだけで幸せなんです。

大阪の財界人は芸達者だった

大阪の文化・芸術の土壌については、どのようにとらえていますか?

山川:僕は、大阪の文化度はとても高いと思います。元々、大阪は町民文化が栄えたまちですし、1400年以上前には四天王寺という壮大な寺院を建てていた。土地と文化と生活が密接につながっていたんです。
 そうそう、僕が毎日放送に入社したころは、財界人が小唄や舞を発表する「財界名人会」という事業が昭和31年から続いてたんですよ。それが1997〜8年に終わっちゃったんです。それまで当たり前だった「芸達者な財界人」がいなくなった。その頃から少しずつ文化と人々との関係が変わってきたのかなと思います。それは大阪府市だけでなくて、日本全体で芸術を楽しむお客さんも少なくなったと感じています。
 80年代までは、ピカソ、ダリ、カラヤンといったアート界や音楽界のスーパースターがいて、芸術にさほど感心のない人でも名前ぐらいは知っていた。ですが、バブル経済がはじけたあとは、芸術は一部の人のもの、他の人はほとんど無関心というのが当たり前になったように思います。経済面だけでなく、いろいろな要因があるのでしょうが。

日本では、文化・芸術は育ちにくいのでしょうか?

山川:でも、今はまた若い人たちは、文化や芸術、アートに近づいていると思うのですよ。僕らが小・中学生だった頃よりずっと洗練された家に住んで、かっこいい家具を置いて、お洒落なカフェへ行き、自分の好きなアートっぽいものに触れている。終身雇用・年功序列が少なくなってきている分、我慢せずに自分たちが好きなことをやろうという世代がでてきている。ふたたびアートとポピュラリティが一致し得る時代になってきているように思います。

では、大阪の文化が元気になるために何が欠けているでしょうか?

山川:大阪は「粉もん」と「お笑い」だけというステレオタイプなイメージがつきすぎているように思います。もちろん、僕はそれも大好きなのですが。大阪には、文楽劇場、松竹座、フェスティバルホールといった舞台芸術の施設は少なくない。市内に公立の劇場がないのは残念ですが。劇場やコンサートに足を運ぶ人の数は、京都や神戸より多い。文楽でも、こうして東京まで届く話題になる。今の地方都市で東京のメディアに注目されるコンテンツを持っているところがどれだけあるでしょうか。こうした大阪が本来持っている文化資源を、大阪の外にも、内側にも発信していくことが大切だと思います。

文化・芸術が都市と人に作用する

大阪アーツカウンシルで、これからの取り組んでいきたいことを教えてください。

山川:ひとつは、先進的なことと、伝統的なことを同時にやる方法を探したいですね。いかに先進的なことを、行政がリスクを承知しつつ扱っていけるかが重要だと思っています。「おおさかカンヴァス」や「ブレーカープロジェクト」のような、都市魅力創造や社会的実験と結びついている画期的な事業を府も市もすでにやっている。それをいかに効果的に外部に伝えているかが課題だとも思っています。フェイスブックやツイッターができて、アートが伝播していく力は高まってきたので、打つ手はいろいろ考えられる。
 もうひとつは、ファンドレイジング(一般的には寄付、会費、助成金、補助金などの財源の獲得手段)です。大阪は元々、タニマチ文化の発祥地ですし、劇場も橋も商人や企業がつくってきたし、今も劇場などは民間のものがほとんどです。大阪には、アートをサポートしたいという気質があり、私のこの千円を、この1万円を芸術に使ってほしいという方が住んでおられるはず。そういう街の人の心意気を活かしていく方法を考え、ぜひ日本中に見えるようにしていきたい。難しいことですが。

文化・芸術は、都市にとってどういう作用があると考えていますか?

山川:文化・芸術が経済面だけでなく、都市の活性化や人々の生活をよりよいものするという先行事例は、すでに世界中にたくさんあります。大阪アーツカウンシルでは、行政に対しても市民に対しても「文化芸術って大切なんです。ちゃんと立証されていますよ」って正面切って堂々と言いたいですよね。それが大前提にあって、その手段として都市魅力創造や次世代育成との連携を探っていければよいのではないでしょうか。
 ところで、僕は14年前に大阪市内に引っ越してきたのですが、そこには商店街があって、クーラーの調子が悪くてまちの電器屋さんに修理を頼んだら、「あぁ、ここが悪いわ!」と言って、ホースをブチって切って、思いっきり吸って、ペッ!って。「ほら!ここが詰まってたわ!」と10分で直してくれた。すごいな、おっちゃん…って見とれてしまいましたよ(笑)。大手量販店だったら、お客様カウンターで修理の予約をして何日も待って…となるでしょう。そんな大阪のまちの空気感を保ったまま、文化・芸術が盛んになると本当にいい街になると思います。上質の劇場があって、レストランがあって、商店街のおっちゃん、おばちゃんもいる。いいでしょ。この街に住んでいることを世界に誇れるようになると思います。