大阪府立江之子島文化芸術創造センター(通称enoco)で4/22に公開報告会「日本から見たタイのコミュニティアートのいま~Japan/Thai D-jung(ディーチャン) Exchange Project 2017 公開報告会~」が開かれました。
この報告会は、2017年2月24日から3月12日まで、関西を拠点に活動する2組のアーティスト/アートマネージャーが、タイに滞在して子どもを中心としたワークショップを展開、その成果をバンコクで行われたコミュニティアートフェスティバルにて発表した内容についての報告です。
登壇者は子どもたちがアートに触れて体感する芸術体験プログラム「タチョナ」代表の小島剛さん、編集者の岩淵拓郎さん、奈良市のコミュニティアートセンター「たんぽぽの家」の鈴村のどかさん、音楽家の西村彰洋さん、北海道教育大学准教授で通訳担当の岩澤孝子さん、大阪市立大学教授で監修担当の中川真さんという顔ぶれ。会場には14名の参加者が集まりました。

最初に中川真さんが「タイにおけるコミュニティアートのあり方を通じてアートプロジェクトの国際的な相互交流の可能性について議論したい」と趣旨を語りました。
バンコクで「なんだこれ?」に取り組む。
岩淵さんと小島さん、西村さんと鈴村さんはそれぞれ別の地域を担当しました。
小島さんと岩淵さんが担当したのはバンコクの中心に位置する宮殿近くのサンプレーンと呼ばれる景観地区です。
ワークショップに参加したメンバーは地区の8歳以上の子どもたち18人。小島さんとタイからは3名がコーディネーターをつとめ、2月26日から3月10日までの期間、平日の午後5時半から8時ごろまで開催しました。
バンコクでのワークショップはふたりが3年前にenocoで開催した「《なんだこれ?》サークル」がベースになっています。《なんだこれ?》とは「コンテンポラリーアートの技術やテクノロジーを使わないシンプルなものだ」と岩淵さんは説明しました。
「世の中で変なものをつくっている大人がいて、子どもたち自身でそれを考えてやってみましょうというものです。 アートを『なんだこれ?』という言葉に置き換えて、タイの翻訳家とやりとりしながらタイ用の教科書をつくりました。子どもたちにアート作品をたくさん見せて、教科書を使いながら『なんだこれ?』を考えてくるようにと宿題を出しました。パフォーマンスをみんなで見て、ビデオに撮ってそれをみて、改良点を見つけてパフォーマンスをもう一回やるという作業を延々と繰り返します」。
繰り返すうちに子どもたちは自分たちがつくった「なんだこれ?」と思うパフォーマンスに対して次第に批評をつけていくと言います。
小島さんによると「最終日のフェスティバルの中でステージで披露したものに加えて、会場ちかくの街中に作品を忍ばせた」そうで、そのパフォーマンスの一つ(ステージで披露したもの)がこちらの映像です。
さらに岩淵さんが解説します。
「それぞれが考えた『なんだこれ?』を足していくと、最後はカオスになります。 ここにいたるまでに2週間かかりました。彼らは最初恥ずかしがるんですけど最後は結構きっちりとできるようになるんです。最後はお客さんからも拍手が起きて、彼らは誇らしげでした」。
ラフ族の神話との融合に取り組む。
次は西村さんと鈴村さんのグループからの報告です。
ふたりは少数民族であるラフ族の村(コーンパッピン村)の子どもたちとワークショップを行いました。 タイの中でも最北に位置するミャンマーとの国境にあり、30分散歩すれば全部回れるような小さな村なのだそうです。ここではケンラフという伝統的な楽器やジェコダンスと呼ばれるパフォーミングアーツの文化がありました。
不登校、あるいは両親がいないなどの、家庭に問題を抱えている子どもたちが15名ほど集まりました。ワークショップではラフ族の神話を元にした、5つの要素からなる音楽や演劇型のパフォーマンスをつくりました。ラフ族の昔の文化と、子どもたちの今の文化、日本人から見たラフ族の文化の三つの要素を組み合わせて、ひとつの表現とすることが焦点だったそうです。
鈴村さんはラフ族の文化を知ろうと、子どもたちと山や川に行き、生活をともにしました。
「私たちのために餅つきもしてくれました。そのときに、かわいらしい餅が登場する神話の話をしてくれたんです。それをモチーフに使いました」
色鮮やかな衣装の子どもたちが打楽器を叩きながら踊っている映像を見せながら話しました。
「タイのコーディネーター側は日本の新しい考え方や技術を教えてほしかったようで、ちょっと目的がうまく伝わっていなかったことが今回の課題でした」と西村さんは振り返りました。
鈴村さんからは現地の子どもたちは古典文化に関わることはダサいと思っている様子、西村さんからは貧困状況であるものの、子どもたちはケータイでfacebookゲームを楽しんでいる一面が紹介されました。
コミュニティアートによる国際交流。
ここからは岩澤さんが司会者となって登壇者とのセッションがはじまりました。岩澤さんからはセッションの前提として、
- 現代美術のアーティストがタイのコミュニティアートに活動に参入した事例はほとんどないこと
- 日本ではコミュニティは崩壊しているという前提でコミュニティアートが行われていること
- タイではコミュニティはまだ崩壊していないこと
- タイではコミュニティアートが盛んではないこと
を共有しました。また、D-jungというプロジェクトはタイで全国でアート活動を地域で行っている人たちのネットワークであり、それぞれの地域で問題意識が違うものの、共有の基礎的な理念として掲げているのは「その地域の良さをもう一度知る。再評価する。自分たちでクリエイティブな活動を通じてそのことを知る」のだと岩澤さんは話されました。
この理念を踏まえると、2組の報告はまさに理念通りだが、その理念がそれぞれのグループでどう理解されているのか、理解のレベルはぜんぜん違うと付け加えました。
まず最初に岩澤さんはバンコクで活動した小島さんと岩淵さんに、どういう意図で日本からコンテンポラリーな活動をもっていったのか質問しました。
岩淵さんは「タイのコミュニティアートの位置づけは行ってみるまでわからなかった」そうです。バンコクでは参加者はこれまでアーティストによるワークショップの参加経験がないとわかり、もともとないところなのでシンプルにできたと言います。小島さんは解説を付け加えます。
「もともと《なんだこれ?》という活動はenocoで3年前にワークショップとして開催したものです。大阪市西区の街中にいるこどもたちは、そもそもアートというキーワードだけで参加してくるだろうかと思いながら『アート好きな人集まれ!』と小学校に投げかけたところ、1週間で参加者が10人の定員に達しました。数校にチラシをまいただけです。僕はコミュニティは崩壊しているかどうかは別にして、地域という考え方で言うと、そこには特徴があると思っています。エリアをぐるっとひとかたまりに縄で描くような感じで囲ってみたら、そこには地域固有の特徴があると思っています」。
小島さんがバンコクでタイのコーディネーター側に最初に伝えたことは、「今回は日本のアーティストが何かを教えるわけではない」ということでした。
「教科書は使いましたが、彼らも困っていたようです。なぜかというとほとんどこちらは何もしないんですよ。最初のほうは『え? それで終わり?』という感じで向こうもどうしたらいいのかわらない。最初の一週間目の途中ぐらいで『ちょっと待ってよ』と、向こうのコーディネートの人たちと話をして。われわれが思っていることと彼らが思っていることをお互い言い合い、関わり方の話をこちらから丁寧に伝えました」。
その言葉を受けて、岩澤さんは「コミュニティアートの創作型は少し時間がかかるもの。ファシリテーターの存在がすごく重要だと思うのですが、少なくともコンテンポラリーアートの文脈では、タイ側でファシリテーターの経験のある人が少なかった」と言います。
コミュニティアートはどういう役割を持ったか。
岩澤さんは登壇者に「コンテンポラリーアートはどういう役割をもつと考えているか」を実は聞いてみたかったと切り出しました。

岩淵さんは「意図的に意識をもって逸脱することで、獲得できる、生きていくための力なんだと思いますが」と話し始め、写真をもとに解説を加えました。
「2週間にわたるワークショップの最終の土日がお祭りなんですね。子どもが地面にチョークで絵を描いたり、伝統芸能に近いパフォーマーが来たり、フォークシンガーが来て歌ったりするけど、それほどクリエイティビティはなかったように思われました。日本でコンテンポラリーアートを美術館の外でやるときに、ちょっと逸脱することで手に入れられるたくましさがベースにある。そいうものがタイではほぼ感じられないんです。そういう意味でわれわれがやったことは非常に異質だったと思います。プロジェクトを通じてメッセージを打てたかな」
付け加えるように、小島さんはテキストをお客さんに配ってパフォーマンスを理解してもらおうと丁寧に説明したと語りました。
岩淵さんは続けます。
「何かパフォーマンスをするときに説明するタイミングで必ず言っていたのは、われわれは《なんだこれ?》道を目指しているんだ。《なんだこれ?》をやるときはパフォーマンスを真剣にしなければいけないし、それを見る人も必ず真剣なのだ、《なんだこれ?》は最大の褒め言葉だ、ということを必ず全員が守ってくれって言い続けました(笑)。お作法というか設定をパシッとしていましたね」
岩澤さんは小島さんに子どもたちの反応やアートに対する理解は日本と比べてどうだったかを問いかけました。
「大阪の場合は小学生だけを対象にしていたのですが、タイは高校生などの違う世代が混ざっていたのが特徴です。参加した高校生はテキストをだいたい理解できる上、半年以上前から地域(サンプレーン地区)を紹介するツアーガイドのワークショップを受けていました。地域を一般の方々に紹介することで自分が社会とつながることを最終目標にやってきた高校生ですよね。そんな高校生のおにいさんが超真面目に変なお手本を示せるんです。そうすると子どもたちはすぐに理解して、パフォーマンスをしてもまったく照れ笑いをしない(笑)。そういう作法というか、ワークショップに参加する子どもたちのベースができていたかなと思います。
日本の場合は一部の地域を除いて、多世代の子どもたちが交流する機会がほとんど失われています。学童保育だと小学生しか行けない。中学生以降はクラブ活動だけが盛んで、それ以外は家に1人でいるか、友達と街中にフラフラと出ていくしかなく、いろんな人と出会える機会を提供できる居場所がないです。居場所がコミュニティというならば、もしかしたらそういうものを育てられる環境がバンコクにはあったのかなという気がします」
麻薬所持の嫌疑
また、岩澤さんから「活動に参加した青年が麻薬所持の嫌疑によって射殺される事件(参照:タイ北部ラフ族の活動家殺害事件、首相が調査を指示)があった」とショッキングな報告もありました。
「コミュニティアートに関わっている人たちが、かなり厳しい生活環境にあるということを示しています。普通の日本人はなかなか行けないミャンマー国境の村で2週間、ほぼ24時間いっしょに過ごしたおふたりですが、本当に社会問題に対して、アートがどういう意味を持ちえたと思いますか」
この問いかけに対して鈴村さんは子どもたちを支える高齢のスタッフが「水道ができたことで川に水を汲みにいかなくなった。コミュニケーションが少なくなった」と話したエピソードや、子どもたちが人との関係を求めているような気がしたと語りました。
岩澤さんは「子どもたちの活動が活発になることで大人たちも巻き込まれればという目的もある」と言います。鈴村さんは「スタッフの大人たちはこの目的にかなり気づいていました。具体的にはケンラクの音を鍵盤ハーモニカの同じ音に落としこんだことがすごく浸透していって、民族楽器と同じハーモニーをつくりだせるようになりました。ふたりのスタッフは子どもたちが変わってきたねと言ってくれたのですが、村の大人は気づいているのかなあ」と話されていました。
岩淵さんは浜松で開催された日本文化政策学会で議論された話がTwitterから流れたと前置きしてこう語りました。
「東南アジアでは、ハイアートでアガれるので、コミュニティアートカッコ悪い、となっている。日本でのコミュニティアートにおける若者感はどう?」最初から小泉君、コメンテーターぶっ込むなあ。。。
— 岡田智博 OKADA Tomohiro (@OKADATOMOHIRO) March 26, 2017
日本文化政策学会 第10回年次研究大会 上記の発言は、分科会Ⅳ-D「アートプロジェクト(2)新たな可能性」、発表:楊淳婷(東京藝術大学)「芸術文化活動による社会包摂―日本における外国につながる若者のエンパワメントに着目して―」におけるコメンテーター小泉元宏氏氏(立教大学)によるもの。 |
「『東南アジアではファインアートはコミュニティアートにコミットしなくても、アーティストは食べていけるからそんなに参加しない。日本はどうなの?』と話し合っていたみたいです。僕らのプロジェクトにも、あるアーティストがテキストには興味をもってくれて、行けたら行くといっていたけれど一日も来なかったですね。このチームでは表現するということと批評するということの間を行ったり来たりする中で大義をつくっていったんですが、たぶんその考えはタイのコミュニティアートにはない。今のところその必要性を感じていないような気がしました。一方で日本のコミュニティアートというか美術館の外側にアートがでていくときに必ず理由として、たくましさを手に入れるところは、みんなでお絵描きしていても仕方がないという前提になっているので、今後タイでもコミュニティアートにおいて表現性を高めていく必要がある。今後のトピックに必ずなるし、ファインアートの連中は流れてくるだろうというのはおそらく間違いないです」
タイから学んだこと
最後に岩澤さんが「タイから学んだことは?」と問いかけました。小島さんはバンコクのプロジェクトでは高校生が年下の子どもたちをフォローするなど、非常にケアの仕方がうまく、今度もう一度開催する機会があれば彼らをスタッフに入れたいと話しました。
岩淵さんは「タイ側は方法論を欲しがっていた」と振り返ります。
「こちらが持っている方法論は、日本の状態の中で生まれたものなので、そのまま渡すのは非常に無責任な気がしました。表現する力強さとか、大きな力に個人が対抗する表現力は求められていくことだと思うので、アートで国際交流するときに、日本側が伝えられるものがあれば、方法論に捉われないで、根本的な見方を伝えていく必要があると思った」
その意見に小島さんが追加するように「であるがゆえに、相手のバックグラウンドを先に知っておくべきであり、パフォーマンスの持っていき方や準備の仕方など、成立過程が非常に大事かな」と話しました。
今後アジアとの国際交流がますます活発になっていく中で、最後に小島さんや岩淵さんが語っていた相手のバックグラウンドを知り、日本的な方法論を押しつけないという話が印象に残りました。アートに限らず、国際交流や子どもとの交流を考える活動をされている方にとって参考になる話なのではないでしょうか。
(構成/狩野哲也)