仙台で活躍する役者・野々下孝さんに聞く東北の演劇事情

レポート

大阪アーツカウンシルでは11/29夜、仙台シアターラボ主宰で役者の野々下孝さんを「あつかん談話室」のゲストに迎え、仙台での演劇事情について聞きました。

大分県生まれの野々下孝さんは高校までサッカーを続け、仙台の大学への進学と同時に演劇活動をはじめます。卒業後は東京にある舞台芸術のカンパニー「劇団山の手事情社」に入団し、役者として活動しました。そして2009年には仙台に移住し、仙台シアターラボを旗揚げします。なぜ東京から仙台に拠点を移されたのでしょうか。野々下さんが用意したスライドを交えてお話していただきました。

仙台シアターラボとはどんな劇団?

「最初に在籍した『山の手事情社』は非常にハイクオリティな作品をつくり、海外公演もしていたのですが、もっと身近な人に演劇の楽しさを伝えたいという気持ちもありました。暮らしの中に普通に演劇がある関係性をつくりたいと思い、情報量の多い東京ではなかなか結びつかないと考えて、大学時代を過ごし、妻の故郷でもある仙台に拠点を移しました」

そして翌年、野々下さんは公演とアウトリーチの両輪で活動する劇団「仙台シアターラボ」を立ち上げます。


(仙台シアターラボ『腐敗』)

「写真は2011年に上演した『腐敗』の1シーンです。チェーホフの『かもめ』にインスパイアされた作品で、最初は『崩壊』というタイトルを考えていました。が、公演前に東日本大震災が起き、タイトルを変えたんです」

一方、仙台シアターラボのアウトリーチ活動は文化庁の「文化芸術による子供の育成事業」などを活用、児童館や小学校、中学校など、さまざまな世代に対して行われてきました。


アウトリーチ活動を行う中で「コーディネーターもできるファシリテーターをつくる必要がある」という問題意識が生まれ、宮城県全域からワークショップに関心がある人を募集し、教育・福祉・医療・看護の現場で、演劇の手法を用いたワークショップを導入するためのワークショップ、『コミュニケーション教育のためのワークショップ~演劇の手法から~』を行いました。

「児童館でのプログラムの内容は先生と生徒ではなく、われわれ俳優が子どもたちといっしょに遊びつつ、子どもたち同士をつなぎ、僕たちもその中に入ってつながっていくというものです」

話題は仙台の学生演劇に移ります。高校演劇は基礎練習が伝統としてあるものの、大学演劇となると「面白いことをやろうぜ」という思いが先行して「基礎はいらない」という考えの人が多く、野々下さんはその状況にマズさを感じて演劇の基礎ワークショップを行っているそうです。

アウトリーチが活発になったのは、「仙台市震災復興のための芸術家派遣事業」が大きかったといいます。震災前から文化庁の派遣事業はあったものの、学校からの申請手続きが必要でなかなかうまくいかなかったそうです。

震災後のワークショップ

「『仙台市震災復興のための芸術家派遣事業』は私が代表をつとめる舞台芸術団体ARCT(以下、アルクト)が実行委員会の一翼を担っています。この写真は仙台シアターラボの『絵本の中に入ってみよう』というワークショップです。異文化交流がテーマです」

復興支援のアウトリーチは仙台シアターラボだけでなく、演劇、音楽、ダンスなどさまざまな団体がプログラムを作り、実施しています。その情報を提供するパンフレットが「芸術飛行船」です。仙台市内全域の学校400校に書類を送り、参加したいか否か送り返してもらうという簡単なシステムにしたことで一気に広がったそうです。

「学校とアーティストを結び、学校の課題にあったプログラムに落とし込むのは『アルクト』のコーディネーターです。コーディネーターは学校から、いつどこでどういったプログラムをやりたいかを聞き取って、実行します。児童館とか学校は先生が変わるけれど、コーディネーターは変わらない。昨年度の学校がどんな状況なのか把握していない教員にコーディネーターが教えるということが起こっています。『この児童館は暴れん坊が多いので、静かなプログラムのほうがいいです』とか、逆に『暴れん坊が多いことは良いことだととらえて、外で絵の具を撒き散らすようなプログラムをやってみてはどうですか』とか」

また、一番変わったのはアーティストが演劇観をプログラムに反映させたこと、自分の技術をプログラムに落とし込んだことだと野々下さんは付け加えました。

仙台シアターラボは子ども向けの公演を必ず秋に行います。こちらの写真は2016年に開催された「子どもがまちをつくるPiccoliせんだい」での「こども演劇祭」の様子です。

中・高・大学生が別々に絵本を題材に演劇を作り、中学生の演出を野々下さんが担当しました。

こちらの写真は東仙台中学校で行われた防犯劇の一幕。

「伊達政宗が悪いやつを退治するような話なのですが、サッカー部などの運動部で活躍する人気者が登場するだけでキャーと声援が起こるんです。演劇をやりたいと思っていなくても演劇に向いている人っているんだと感じました」

また、シニア劇団の顧問もされていて、こんな苦労話が。

「エネルギッシュで話がまとまらない人たちなんです。宮城県の言葉で『あっぺとっぺ』という『ぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃ』を意味する言葉がありますが、それで劇団名を『あっぺとっぺ』と名付けました(笑)。落語を題材にしてお芝居をつくり、月に2回稽古しています」

年間どれほどワークショップを行っているのか参加者から質問がありました。

「指導者として15本ぐらいで、補助役で10本ぐらい、専門学校の入学説明会なんかでの体験ワークショップも10本ぐらいやっています。依頼先によっては慣れていなくてワークショップの目的を決めていないところもあり、そういうところでは『なんのためにやるんですか?』と、その目的を探ることにも力を入れていますね」

仙台の文化状況

仙台では演劇人の稽古場としてせんだい演劇工房10-BOXが充実、さまざまな劇団が出入りして稽古したり、公演したりしており、コミュニティのハブとして機能しているそうです。24時間オープンという、大阪では考えられない環境です。

「仙台市は『劇都仙台』を掲げ、仙台市市民文化事業団には演劇振興課という部署があり演劇についてよくわかっている方がいろいろ制度を整えてくださったおかげです」

話題は仙台の演劇事情に広がっていきました。

仙台には、昭和50年生まれの野々下さんより少し上の世代の大きな劇団が三つあります。

「上の世代の劇団は作家主体です。その後、震災の年にポツポツと劇団が増えました。学生は全国的にも元気だと思います。とうほく学生演劇祭というプロジェクトがあり、プロの劇団が学生をうちの舞台に出てほしいと指名するドラフト制度まであります」

野々下さんの先輩世代は作家が書きたいものを公演し、野々下さん世代は劇団のスタイル確立と集客の両輪を目指し、下の世代は「ちゃんと売れよう!」という人が多いと野々下さんは分析します。また、役者はさまざまな劇団を横断している人が多く、ある役者さんは年に7本も出演しているのだとか。

先輩世代はローカルタレントとして食べている人が多く、野々下さん世代は専門学校で教えている人が多いと言います。仙台には5~6校の専門学校に声優科があり、演劇の基礎が必須。1校で教えることができれば食べていくことができると言います。

仙台シアターラボの今後

仙台シアターラボは、今後、さまざまなジャンルのアーティストと交流をしていきたいと野々下さんは語ります。

「今度、福島のアーティストと美術館を使ってプロジェクトを行います。照明アーティスト、ミュージシャンなど演劇以外のさまざまな分野の方とコラボレーションしていきたいです」

また、九州の劇団は県をまたいで交流があることがうらやましいとも語っておられたのが印象的でした。

会場からの「震災の影響は?」という質問に対し、野々下さんはお客さんの設定を細分化するようになったと振り返りました。

「震災前はこの公演は子ども向け、高齢者向けなどと設定せず、自分たちと同世代に向けて面白いものを発信していました。年代などに応じてワークショップを細分化していったことが公演の細分化につながりました」


(写真/特別な芸術のチラシ)

「シニアの方に『野々下さん、このチラシでシニアの人たちが来ると思う? いかないよ!』とはっきり言われました(笑)。そんな経験を積んで制作への意識がすごく変わりました。これまで自分たちは大学演劇の延長でやっていたんだなあ、世間としっかりとつきあっていなかったと思ったんです。今までの努力はなんだったんだって話ですが(笑)」

このエピソード、大阪で文化芸術に関わる人にぜひ読んでもらいたいと感じました。

様々な人々に演劇を届けること。それが野々下さん率いる仙台シアターラボが最終的に目指している地点です。

(構成/狩野哲也